ローマの人々への個別のあいさつ④(ローマ16:12-16)





16:12 主にあって骨折り働く婦人たちトリファナとトリフォサによろしく。

ローマの人たちへのあいさつは続きます。ここでパウロがあいさつを送るのはトリファナとトリフォサです。二人はおそらく同じ家に生まれた実の姉妹でしょう。




16:12 主にあって骨折り働く婦人たちトリファナとトリフォサによろしく。

二人の名前のギリシャ語表記はTruphainaTruphósaで、それぞれ「ぜいたくな生活を送る」を意味するギリシャ語の語根に由来した名前となっています。パウロはこの名前と反対にトリファナとトリフォサが骨折って働く婦人たちであることを強調し、彼女たちの労苦をたたえています。




16:12 わたしたちの愛する者ペルシスによろしく。

次はペルシスへのあいさつです。




16:12 彼女は主にあって多くの労を尽くしてくれました。

「多くの労を尽くした」ペルシスは、トリファナとトリフォサよりも多くの労苦を経験したのかもしれません。なお「労を尽くした」が不定過去形であること、また労苦の内容が省略されている事情については6節のマリアの場合と同様です。




16:13 主にあって選ばれた者ルフォス,そして彼とわたしとの母によろしく。

次いでルフォスとその母へのあいさつです。

キリストの苦しみの杭を代わりに担いだシモンという人物の息子にルフォスという人がいますが、(マルコ15:21) 一つの可能性として考えられるのは、そのシモンの息子が13節に登場するルフォスと同一人物であるということです。マルコ福音書がローマで書かれたと推定されること、加えてマルコが苦しみの杭を担ぐ場面でシモンをルフォスの父として紹介していることに照らして考えると、ローマ書が書かれたころにこのルフォスが実際にローマに住んでおり、ローマ会衆でもよく知られた存在だったと推測できます。




16:13 主にあって選ばれた者ルフォス,そして彼とわたしとの母によろしく。

ルフォスは「選ばれた」人といわれています。「選ばれた」と訳されるギリシャ語eklektosは聖書がよくいう「神によって世から選び出された」という教理的な意味だけでなく、「えり抜きの」や「優秀な」などの意味も持ちます。パウロはきっと後者の意味でこの語を用い、ルフォスを褒めたのでしょう。




16:13 主にあって選ばれた者ルフォス,そして彼とわたしとの母によろしく。

ルフォスの母は名前が載せられていません。パウロはただ親しみを込めて彼女のことを「彼とわたしとの母」と述べています。かつてパウロはルフォスの実家に寄寓し、その時期にルフォスの母から親切な世話を受けたのかもしれません。




16:14 アスンクリト,フレゴン,ヘルメス,パトロバ,ヘルマス,また彼らと一緒にいる兄弟たちによろしく。

さらにアスンクリトを筆頭に数名の人たちへのあいさつが述べられています。ここに名前が挙がった人たちを中心として一つの集会が存在し、そこに彼らの兄弟たちが集まっていたのでしょう。ただし5節と違って「家にある会衆」といわれていないのは、その集会が比較的小規模だったか、あるいは集会所が不特定だったかなどの理由によるのかもしれません。




16:15 フィロロゴとユリア,ネレオと彼の姉妹,そしてオルンパ,また彼らと一緒にいるすべての聖なる者たちによろしく伝えてください。

他にもフィロロゴを筆頭に数名の人たちへのあいさつがあり、ここで特定の個人へのあいさつが終わります。アスンクリトたちの場合と同様ここに実名で登場している人たちを中心に一つの集会が存在し、そこに彼らの兄弟たちも集っていたものと思われます。

おそらくフィロロゴとユリアは夫婦でしょう。その他の人たちのことは聖書の他の箇所で一切述べられていません。中には自分が使徒に知られているとは想像すらしなかった人もいるでしょう。そのような人は自分に向けられたあいさつを聞いて大いに励まされたに違いありません。




16:16 聖なる口づけをもって互いにあいさつを交わしなさい。

パウロは自分からあいさつを伝えるだけでなく、ローマ会衆の人々が相互にあいさつを伝え合うよう促すこともしています。

口づけは当時の小アジアやアラビアの文化圏、またユダヤ人の間に見られるあいさつの方式で、初期クリスチャンたちの間にもこのあいさつを交わす風習があったようです。ただしクリスチャンの口づけは単なる文化以上のものであるべきでした。それは信仰によって結ばれた者の間に存在する兄弟愛を証しするものでなければならなかったのです。そのような意義を持つ口づけこそ「聖なる口づけ」です。




16:16 キリストのすべての会衆があなた方にあいさつを送っています。

さらにパウロは各地の諸会衆からのあいさつも届けています。諸会衆もローマのクリスチャンたちに関心を抱いていたことがうかがえます。パウロはローマに手紙を送ることを自分が行く先々の会衆に知らせていたのでしょう。

3-16節でパウロは26人の個人の名を挙げてあいさつを送っていますが、名前が挙げられていない人も含めればもっと多くの兄弟姉妹たちにあいさつを送ったことになります。これらはきっとローマ会衆の設立や発展に大きく貢献した人たちに違いありません。パウロは彼らの働きを認め、褒め、みなの記憶に残したいと思ったことでしょう。




パウロが異なる表現を用いながら一人一人の特長や功績に触れているのを見ると、彼が兄弟たち一人一人にとても深い関心を持っていたことがわかります。またパウロが自ら設立した会衆に送った手紙の場合よりも丁寧な仕方であいさつを記しているのを見ると、未知の会衆に対する彼の礼儀、また使徒の権威で兄弟たちを威圧しないよう気を配る彼の謙虚さのほどをうかがい知ることができます。